私見-private opinion-

後藤勇-gotoisamu-

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春の生暖かさ。
いつも落ち着かないのに、今夜はほっとした気分がある。
謝るのは勇気が要ること。
でも笑ってしまったなぁ。ごめんごめん。

(2006年3月7日)

泣いた。
突然、涙がとまらなくなった。
自分の中で何かがいっぱいになってあふれたんだと思う。

(2006年2月12日)

まずなによりも、自分のことをきちんとしようちゃんとしよう。
と、何度も思い直すのだけれどなかなかうまくいかない。
それでも、自分のこと。
きちんと。ちゃんと。

(2005年12月27日)

ここ2、3日、云いようの無いどんよりとした気持ちに覆われていた。
原因はわかっているのだ。
覚悟。勇気。
帰り道、列車の中で寝て醒めたら不思議なことに心が戻ってきていた。
あんなに晴れなかったのに。突然。
昨日車窓から海を見ていた。ずっと見ていた。
見覚えのある波の形にほっとした。
今朝は青空を見上げて歩いた。紅葉の赤と黄色。そして青。
冬の寒さはそこに霜の白を被せていった。
澄み切っていくような感じ。
冬から何かをもらう。

(2005年12月8日)

午後、街に出掛けた。
人混みを抜けた頃、五月の爽やかな空気を感じた。
すうっとしてふわっと持ち上がるような。

(2005年5月28日)

無事だとわかった。
こちらの命が救われたような気がした。
とともに、自らの非力を知る。

(2005年1月4日)

生きていたくなるような音楽。それを鳴らす。

(2004年9月5日)

先程観たテレビのドキュメンタリー番組。
ベトナムで蓮茶づくりをしているおばあさんが、湖のほとりで親しい人たちとお茶会を開いて云っていました。
「ベトナムも昔そうだったけど、今も若い人たちが戦争に行ってる。そういう人たちにこそ、こういう時間が必要なのにね。」
ゆっくりとのんびりとお茶を味わったり甘いものを食べたりしながらひととき会話を楽しむ。
こんな幸せな時間を大切にしたい、と思うのです。

(2004年8月1日)

苦しみを分かちあってあげられない、というのも苦しいものなのだなぁ、などと。

(2004年7月31日)

どうでもよいことですが、最近、ジャスミンティーとあんみつが大好きです(笑)。


京はやしや特製あんみつ。甘味の幸福。

(2004年6月26日)

身の周りのいろんな人やことがじんわりと繋がっていってる。わくわくする。楽しみだ。

(2004年6月13日)

こんなぽうっとした気持ちになったのは何年振りだろう。

(2004年5月2日)

今日、仕事に向かう午後の急行電車の中で微睡んでいたら、不安とも幸福ともつかない生温い感覚が立ち上ってきました。ことばとなって。で、手帳に書き留めたのですが、覚醒するにしたがってその感覚はどんどん薄まっていく。ある一瞬、宙に浮かんだ幽霊のような霧のようなものを掴み取るような作業でした。そういうものを歌いたいのです。

(2004年3月10日)

あまりにひどいと思ったので、ニュース記事をそのまま引用します。

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5300人署名集め首相に”直談判” 宮崎の高3・今村さん 内閣府に提出「軍隊の撤退を」

 平和的手段でのイラク復興支援を小泉純一郎首相に求め、一人で署名活動に取り組んでいた宮崎県三股町の高校三年生、今村歩さん(18)が二日、首相あての請願書と五千三百五十八人分の署名を内閣府の担当者に手渡した。今村さんは「みんなの気持ちを小泉首相に届けたくて、直接持ってきた。ぜひ首相に勇気ある行動を取ってほしい」と話した。内閣府は同日午後にも首相秘書官まで届けるという。

 今村さんは昨年十二月十日から、高校の知人らに呼びかけ、署名活動を始めた。次第に活動が広がり、国内だけでなく米国やオーストラリアからも郵送してきたという。

 請願書では「イラクには雇用、電気、ガソリンなどが必要で、自衛隊派遣では本当の支援はできない」などと指摘、小泉首相に「イラク国民を傷つけないために、各国に軍隊の撤退を呼びかけてほしい」と求めている。また、米国の武力による解決は「非民主的」であり、劣化ウラン弾やクラスター爆弾の非人道性を日米両政府に認めるよう求めている。

 今村さんは、イラク戦争終結後もテロが頻発していることを知り、「暴力の連鎖を断ち切るためには平和的な解決が必要だ」と思い、小泉首相への直談判を決意したという。この日、母親の理絵さん(44)と上京した。

(西日本新聞)[2月2日14時47分更新]

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<小泉首相>高校生のイラク復興支援署名で教育に注文

 小泉純一郎首相は2日、宮崎県の高校3年生が武力に頼らないイラク復興支援を求める5358人の署名を提出したことについて「よくイラクの事情を説明して、なかなか国際政治、複雑だなあという点を、先生がもっと生徒に教えるべきですね」と述べ、教育のあり方に注文をつけた。首相官邸で記者団に感想を聞かれ答えた。

 首相は「署名を読みましたか」との記者団の質問に「いや、読んでません」と述べた。さらに「読む考えは」と聞かれ「自衛隊は平和的貢献するんですよ。学校の先生も、よく生徒さんに話さないと。いい勉強になると思いますよ。この世の中、善意の人間だけで成り立っているわけじゃない。なぜ、警察官が必要か、なぜ軍隊が各国で必要か」と語った。

 首相の発言は自衛隊派遣に理解を求めたものとみられるが、教育現場にこうした対応を促す趣旨の発言は今後、論議を呼ぶ可能性がある。

(毎日新聞)[2月2日20時58分更新]
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教育に注文云々というよりも、私が憤りを感じるのは、少なくとも政治に携わる人間が、何かを伝えようとする一人の意見に耳を貸そうともせず、頭ごなしに踏みにじろうとしているということ。

腹立たしい。悲しい。あまりに貧しい。

(2004年2月2日)

誰かと一緒にひとつの音楽を創るというのはとても楽しい。
反面、とても難しい。

うまくひとつの音楽を共有できないとどこか居心地が悪い。
他人の生み出した歌や音楽を、そのまますっとすくい上げられないと、変な色付けをしてしまうことがあって、それはそれは音楽としてとても不格好になってしまうのです。

自分のエゴを捨て去る瞬間。音楽そのものに忠実になる瞬間。
そうしないと、音楽として鳴ってはくれないのですよねぇ。うーむ。

(2003年10月26日)

最近、他人の表現に厳しいような気がします。

このところ、親しい友人の歌や音や映像やライブに接する機会が多いのですが、どうしても厳しい感想になってしまいます。
以前はその表現を楽しんでいたのにどうしてだろう、と考えてみたところ、思い当たる節がありました。

ひとつは、自分の中で創作すること・表現することのハードルが高くなった、ということ。
ここ数年の私は、自分の中にあるそのハードルを意識的に下げていました。
どんな歌でも自分から出てきたものは発表してみよう、完成されていなくても人前で歌ってみよう、と。
しかし、今は自分で納得できるものを歌おうと心掛けています。
納得がいかなければ練習する、それでもしっくりこなければ歌わない。
それを自分以外の表現・作品にも求めてしまっているのかも知れません。

もうひとつは、自分の感性が変わってきたということ。
自分の聴き方、見方が少し変化してきているのかも知れません。
以前から意識はしていたのですが、ひとつの「生き物」を感じさせてくれるような表現や作品に強く惹かれるようになってきました。
そういう「今」が伝わってこないと、自分の中の何かに響いてはこないのです。

「練習」しながら、なおかつ「今」を謳歌する。
とても難しいことだと思います。
ようやく私はそんなことに気付きました。

厳しいことを云ってしまった友人のみなさん。ごめんなさいね。
悪気はないのです。
お互いに「今」を響かせていきませう。

(2003年7月27日)

「音楽は追うものではなくて自分の中にある」

石田健さんの掲示板で見付けたことばです。

ずっと前から頭では気が付いていたこと。でも出来なかった。
どこか無理をしていた。

歌や音は洋服のように身に纏うものではなくて、その人の素から滲み出てくるもの。
そうしてやらないと、鳴ってはくれない。

(2003年7月7日)

以前の私は、自分の歌を「育てる」ということを疎かにしていたような気がします。

(2003年7月2日)

昨日、石田健さんとyukaさんと一緒に「match6」でのセッション曲を練習しました。

石田(Vo,AG)、yuka(Vo,Conga)、後藤(Vo,B)という編成で1時間のスタジオ練習。
曲名は当日まで内緒ですが、様々なカバーバージョンもあるロックの名曲を演ります。

存在感のある歌を歌う二人を前にして、私が最初のパートを歌うことになったのですが、なんとか原曲の英詞の持つ世界を損なわないようにことばを大切に歌ったら、練習後、yukaさんが「後藤さんの生の歌声。初めて聴いたけどよかったですよ。」と云ってくれました。
いや〜嬉しかった。というかホッとした。

石田さんにもハモリを付けていただいたのですが、伸びのある彼の声と一緒に歌っているのかと思うと、これまた幸せな気分。
自分の好きなミュージシャンと一緒にひとつの音楽を創るというのも、ソロとは違ってまた特別な面白さがあります。

録音を聴き返してみましたが、次第にリラックスしてきたのか、最後のテイクでは3人の声が入り混じってとてもいい感じでした。
当日はもっと3人の個性が発揮されたセッションになると思います。

yukaさん曰く「この曲はお客さんにも歌ってもらおう」と。
なるほど。それは面白い。
自然にみなさんに口ずさんでいただけるような歌と音を響かせたい、と思います。
楽しみ楽しみ。


(2003年6月29日)

ベース。

今度の「match6」でも、いつものように出演者3人でセッションを1曲演るのですが、私はベースを弾くことになりました。
前回の「match5」でもベースを弾いたのですが、今度はフレットレス・ベースを弾きます。
石田健さんとyukaさんの歌や楽器編成を考えると、落ち着いてどっしりとした低音の出るベースが似合うのではないか、と。

私のフレットレス・ベースは高校時代に愛用していた市販のプレシジョン・ベース・コピーモデルを、当時 JAPAN のベーシストだった Mick Karn に憧れて、自分でフレットを抜いて加工したものです。
長い間、弦も張り替えていないのですが、弾き込んでいるうちに気に入った音が鳴るようになってきました。
自分のリズムを響かせるようにしたい、と思います。

今週末は3人揃っての練習を行います。
一体どんな音になるのか。
それはそれは、楽しみなのです。

(2003年6月23日)

昨日、或るミュージシャンと話していて、練習ということについて考えてしまいました。

今、私は「match6」に向けて、ほぼ毎日、自宅練習をしています。
以前はこんなに練習をしたことがありませんでした。

練習をすると、自分の中でその音や歌に対する新鮮な気持ちが慣れに変わって、形式的な音楽になってしまうような気がしていたのです。
ロックは、形の中には存在しないのではないか。
録音にしても、往々にして曲が出来たばかりのときに録音したものの方が良かったりすることが多い。
ですから、むしろ練習することを拒んでいたところがあります。

自分の歌をやり直そう、と思ったときに、これからは練習をしてみようか、と思いました。
音楽やメロディの形の中にある美しさにも目を向けてみようと思いました。
正直、練習をして自分の歌が型にはまったものにならないか、心配でした。
ライブや録音の度に、私の歌にはうまく歌えない不安定な部分が多くあることを自覚していたので、メロディやことばの連なりや流れ、そしてそれらが醸し出す景色や温度を殺してしまわないような歌い方を身に付けたいと思いながら、練習を繰り返してきました。

どこまでも終わりの無いことかも知れないのですが、最近になってようやく、以前よりも自分の歌を「正確に」歌えるようになってきました。
音程とかの部分的なことではなく、歌を「ひとつのまとまり」として歌えるようになってきたような気がします。
汗や涙の練習ではなく、歌を自分に引き寄せ近づけるための練習。

(2003年6月22日)

やっぱり今までの歌い方は違っていたような気がします。
今日歌っていてそう気が付きました。

歌は「一筆書き」のようなものだということは前から気が付いていたのですが、実際に歌ってみると「語」を「ことば」ではなく平坦な「音」のように歌ってしまっていて、うまくできていなかったのです。
今は「節」を意識して歌うことができるようになってきました。

コーナーに遭遇するたびに急に荒っぽくハンドルを切るような運転ではなく、ゆるやかに身体を傾けながらカーブを描くような。

今の歌い方は自分に合っているような気がします。
これでいいのかも。

(2003年6月17日)

「match6」に向けての練習を始めました。

といっても、今年に入ってからは次回の「match6」のことだけを考えて、創作をしたり練習をしてきました。
この先のライブについてはまだ考えていません。それは「match6」を終えてから考えたいと思っています。

今回競演してくれる石田さんは「match2.1」にも出演してくれたのですが、聴き手が2人だけ(しかも石田夫人とその友人!)という厳しい状況の中でも愚痴一つ云わず、それどころか力強い歌声を私に響かせてくれました。
そして打ち上げのときも、私を励ますような話をたくさんしてくれました。
このときの経験は私にとって、とても貴重な財産となっています。

その石田さんが「大事にして続けていきたいと思っているイベントの一つ」と云ってくれて、もう一人の競演者yukaさんは「食費を削ってこのライブに臨む」とまで云ってくれているのです。
本当に涙が出るほど有り難い気持ちを受け取ってしまいました。
ありがとう。ありがとう。

この二人の歌に負けないような、ささやかな自分の歌を歌いたい。
そのための練習。

部屋の床に座り込んでいたのをやめて、ビールケースをイス代わりに。マイクを立て、譜面台を立て。ヘッドフォンで歌とギターの音をモニターしながら、確めるように歌っています。

ライブ当日まで続けます。

(2003年6月15日)

yukaさんの音に出会ったのは偶然でした。

2001年秋、渋谷クアトロで行われた「宇田川町ロックフェスティバル」のサイドステージに現れた名も知らぬ一人の女性歌手。不可思議なギター演奏にあわせて発せられらる歌声に私はとても惹き付けられました。即興なのか作曲されているのかもよくわからないメロディ。無垢な子供の歌のようでいて、何に似ているともいえない初めての音。真の意味でのオリジナルを感じました。
わずか10分程の演奏を終え会場に下りてきたyukaさんに、私は「match」への出演をお願いしたのでした。

その後、2回ほどyukaさんのライブに出掛け彼女の歌を聴くたびに、ますます競演したいという想いは強まりました。しかし、残念ながらその想いをyukaさんに受け止めてもらうことができないまま2年が経ちました。
先日、yukaさんからメールでライブのお知らせをいただき、終演後あらためて出演交渉。私もyukaさんも以前よりも気負いが無くなり、気が付くと自然と音楽の話に花が咲いていました。

私にとって念願だったyukaさんとの競演が「match6」でようやく実現します。
時間はかかったけれど、お互いの想いが通じ合った状態で、同じ場所で歌を歌える、音を出せるのはとても嬉しい。

(2003年6月11日)

昨日今日と、頭の中で「からたちの花」が回っています(笑)。

ようやく通して歌うことが出来た、と思ったのも束の間、音を伸ばす長さの間違い、音程の間違いを次々に発見。
ということで、録り直しに掛かるも、一度体得した歌い方はなかなか直すことが出来ず、悪戦苦闘する。

しかし、当初は「大正時代の歌なので、今の時代のことばの抑揚とはしっくり合わない部分もあるなぁ」と思っていたのが、段々と作曲者の真意がわかってきました。
山田耕筰さんは、語の区切り方にもとても注意を払っていて、ひとつの旋律の括りにひとつの文節、ひとつの感情を充てているように感じます。
その美しさは、西洋のオペラのような歌とは対極にありながら、それでいて素朴な美しさ。

楽譜にあるように「平静に」歌うように心掛けています。

(2003年5月11日)

先日、久しぶりに或る人の弾き語りライブを聴きに行きました。
今年に入ってから「言葉の強い」音楽をあまり聴きたくなくなっていたので、いくつかのお誘いもお断りしてきていたのですが、そろそろ大丈夫かなと思い出掛けてみました。
私自身の嗜好が変わってきたせいか、あまり感じ入るところなくライブは終わりました。

以前からそういう傾向はあったのですが、自分のことだけにしか関心の無い歌というのは苦手で、特に最近そういう歌からは離れていたいと思うようになりました。
自分のことを歌う、というのは大切なことだと思うのですが、それが本人も気付かぬうちに自己顕示や自己陶酔になってしまっていたりすることがあるのですね。
最近の若い女性歌手の多くは「あたし」という人称を多用していますが、それもそんな意識が潜在的にあるのかも知れません。

最近、引退した或る人気女性歌手の歌を聴く機会があり、一度通して聴いたときは「いい歌だな」と思ったのですが、聴き返してみたら私にとってどうしても受け容れることのできない言葉が一節ありました。
その一節こそが彼女自身の表現、個性だという人もいるかもしれませんが、その一節のために私はその歌を今後聴くことはないと思います。

感性の違い、と云ってしまえばそれまでなのですが、赤裸々だったり強欲だったり傍若無人だったり媚だったり甘えだったり。
そういう一過性の刺激、馴れ合いや甘やかし合いを放し飼いにしてしまっている表現は少なくありません。

「自立」している、ということ。そういうものになりたい、と思います。

(2003年5月10日)

以前テレビで観た、山田耕筰さんのことがずっと気になっていました。「からたちの花」の作曲者。

図書館で「白秋愛唱歌集」(岩波文庫・藤田圭雄編)を見付け、そこに載っていた楽譜を見て驚きました。
予想以上に譜割が複雑だったのです。4分の2拍子と4分の3拍子がめまぐるしく入れ替わる構成。1拍目からは始まらない歌い出しの位置。歌い終わりと歌い出しの間隔のコントロール。そして、そこに添えられた作曲者自らの歌唱法の指示。日本語の抑揚、情感を生かそうとした想いがひしひしと感じられる歌なのです。

ともかく楽譜を基に歌ってみましたが、自分の中に染み付いていたメロディとは違っている部分が多く、練習は困難を極めました。
今日、ようやく自分なりの和声を付けることができたこともあって、リズムとメロディの大筋が掴めるようになってきました。

山田耕筰さんの歌に対する考えかたには、とても共鳴するところがあるのです。
「あぁ。こんなことを考えていた人が他にもいたんだなぁ。」という想い。我が意を得たり、という感じでした。
だからこそ、時間を掛けてじっくりと自分なりの「からたちの花」を歌ってみたいと思うのです。

(2003年5月4日)

戦争が行われています。

新聞での識者の対談に興味深いことばを見付けました。
今回の攻撃は「先制攻撃」ではなくて「予防攻撃」なのだそうです。
相手が銃を抜き、引き金に指を掛けた刹那、に撃つのではなく、相手が銃を持っていて、撃ってくるかもしれない、撃ってくるに違いない、綿密なデータ調査の結果必ず撃ってくる、という脅威を感じ、こちらから撃つ。

また、今日の兵器はピンポイント爆撃の精度が極めて高く、一室という単位まで狙えるのだそうです。
戦争を望まない市井の人々を、たったひとりでも巻き添えにしてはならない、と祈るしかありません。

こんなイメージをしてみます。

家の近所に獰猛な犬を何匹も飼っている人が引っ越してきた。狂犬病の予防注射もせず、鎖にも繋がない。保健所や周りの人の云うことも訊かず、全く何を考えているのかもわからない。その主がある日犬を連れて、我が家に押しかけてきた。話そうとしても応えない。何を考えているのかわからない。犬は騒ぐ。不気味である。子供は怯えている。近所の人たちは遠巻きに見ているだけで何もしてはくれない。いよいよ犬と飼い主が家に押し入ってくる。犬が暴れだす。ぐるりと取り囲む。子供が泣き出す。どこにも逃げ場は無い。とっさに、殺意を感じた。

そのとき私はどうするだろう。

警察に電話して助けを乞うかも知れない。
家族を守るため命がけで戦うかも知れない。

誰か強いものに助けを求めるのは、安全保障と同じということ。
命懸けで戦うということは、相手も命懸けで戦ってくるということ。
どちらかがどちらかを殺すまで終わらないということ。

犬の主にも、私と同じようなちいさな子供がいる。

人の命を奪う行為が、良くない行いであることは承知している。

巻き添えを出さずに諍いをおさめる方法とは。

(2003年3月21日)

平田聡さんと久しぶりに会って話しました。

最近、音楽のことを語るのはちょっと抵抗があったのですが、話をしているうちに整理がついてきたような気がします。

歌を包装紙に例えると、きれいな柄の紙はとっておいて、またなにかの包み紙につかったり、箱に貼って飾りに出来るけれど、そこに大きくお店の名前が入っているのは不粋だと思うのです。
これ見よがしに自己主張せずとも、柄の美しさ、それ自体を誰かと共有できればいいのではないか、と。

歌はステージの上から放り出されるものではなくて、誰もが暮らしのふとした場面で口ずさむのがよい、と最近思っています。

平田さんに「昔、ライブ当日になって「出来ない…」って断ってきたことあったよね」と云われました。
全く覚えていないのですが(笑)、たぶん今と同じように音楽のことを自分なりにいろいろと考えていたのではないかと思います。

(2003年3月16日)

何人かの友人の方から電話やメールをいただきました。どうもありがとう。ご心配おかけしました。
まだきちんと整理してお話しすることができないのですが、とりあえず最近考えていることを書きます。

このところライブを続けてきましたが、元々、私の唄を気に入ってくれる人は世界中探しても十人くらいだろう、というところから始まっているので、他のアーティストのみなさんと同じように精力的にライブハウスに出演したり、という活動が自分に合っているものなのかどうか、疑問を感じ始めました。

自分の唄も吐き出すだけの余裕の無い表現になってしまい、どこか浮付いたもの、荒れたもの、ひとりよがりのものになってきてしまっているように感じていました。ただ力んで歌うことで、自分の唄の弱さを庇おうとしていたのかも知れません。我欲のようなものがどこかに浮かんでいたのかも知れません。
今は、自分は、自分が、と甘えたように叫ぶよりも、誰もが入って来られる風通しの良い唄に憧れます。

頻繁にライブを演って人前で歌っていくことが自分にとって一番しっくりする方法なのかどうか、振り返る機会を持ちたいと思うようになりました。
当分のあいだ、ライブで歌うことは控えたいと思っています。

今年に入ってから、自分が共感できるアーティストの歌を、日々歌っています。
ギターも持たずCDに合わせて歌っていると、自分の唄の稚拙さに気付かされます。歌い出しの一語を発するほんの一瞬の説得力がいかに大切であるか、今更ながら学びました。しばらくは、こんな練習を続けることになりそうです。
自分の唄を歌えるのはいつになるかわかりませんが、今年中に一回「match」の場を持ちたいと思っています。

唄や音楽に急がされて見捨ててしまっていたかも知れない普段の生活。
ていねいに日々を過ごす。
まずはここから、やり直し。

(2003年2月16日)

久しぶり。

声の音楽の中にいた。

(2002年10月30日、南口)

写真家。

先日、図書館で「日本の写真家」シリーズ(岩波書店)を見付けたので借りてきた。
中平卓馬さん。東松照明さん。大辻清司さん。

中平さんは最近、雑誌「ビレッジボイス」誌上に掲載されていた近作に惹かれていたのだが、古い作品はどうもピンと来ない。
東松さんは、友人の映像作家・平野政則に教えられて気になっていたところへ、沖縄で機内誌「コーラルウェイ」誌上に「太陽の鉛筆」という見付けて好きになった。初期の作品は見たことがなかったので驚いた。「新しい」というと誤解を招くが、すべての「画」が「新鮮さ」を持っている。迷いの無い速球のストライクである。それでいて、人間味のようなものが滲み出ているのが凄い。参った。しかし、沖縄の写真は何故かほとんど掲載されていなかった。
大辻清司さんは、展覧会を観に行き好きになった写真家なのだが、この選には不満が残る。決して厚くはない本の中で、すべてを網羅することは不可能とわかっているが、それでも、である。大辻さんのスナップに醸し出される端正さと軽快なユーモアが薄い。

なにか批評めいてしまったが、やはり作品には元のサイズでそのものの色で直接対峙したい、と思わされた。
おそらく、この3人とも、私が好きな写真を見せてくれるに違いがない、のである。

(2002年9月9日、長袖にする)

夕立みたいな歌を唄いたい。

(2002年7月25日、気まぐれ雨)

一年。

音楽をやる上で、計画というのはあまり必要ではない気がしてきた。
思えば、一昨年のウェブ「耳の穴」開設も、昨年の頻繁なライブ活動も、あらかじめ計画していたことではない。
そのときの思いに忠実になって進めばいいのだ。うん。

計画はいらないけれど、必要なものがある。
意志。

音楽を、唄を、ひととき、一緒に共有すること。
今年も、私とあなたにとって素晴らしい音楽との出会いがありますように。
そして、未だ貧しく、困難な状況のもとにいる大勢の人たち、子どもたちに、大好きな歌が与えられることを祈って。

(2002年1月1日、元日)



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